HANAO SHOES JAPAN
#11


奈良|奈良晒|株式会社岡井麻布商店

伝統的な手仕事は「日本の美」として世界に誇れる、なくしてはならないものと私たちは日々感じています。HANAO SHOES JAPANは織物・染物の伝統が多くの人の目に触れ、見る人それぞれがゆかりある地場の手仕事に興味を持つ機会となるプロジェクトです。
ここでは47都道府県全ての工房にインタビューをお願いし、ここでしか聞けないお話を聞いています。

今回は株式会社岡井麻布商店の岡井孝憲さんにお話をお伺いしました。

「奈良晒」は江戸時代、徳川家康に見出され奈良随一の産業に。

──読み方は「ならざらし」なんですよね。

字だけ見ると「さらし」だけど、「ならざらし」ともいいますね。

──300年も続いているんですよね、奈良晒。

うん。江戸時代の間、この辺りの大きな産業でした。
それより前は奈良にお寺がたくさんあったので、お寺さんの法衣や袈裟(けさ)を織っていました。

だから室町から鎌倉時代にも(奈良晒の)基礎があったわけです。
そして江戸時代、家康が「奈良晒」を見て、「裃(かみしも)」に最適だと、奨励したんです。

──すみません。「かみしも」ってなんですか?

武士が登城する時に着る、正装のことです。

──ああー!あれを「かみしも」っていうんですね。

※「裃」とは:江戸時代武家の衣服の一種。本来、同質同色の上・下対(つい)になったものを総じて上下(かみしも)とよんだ。
https://kotobank.jp/word/%E8%A3%83-46681


大麻(たいま)といいますが、「おおあさ」ともいいます。

これは「からむし」といって「苧麻(ちょま)」。

──「ちょま」ってなんですか?

「苧麻」っていう麻の種類。 で、こっちが「大麻(たいま)」。
「精麻(せいま)」とも呼ばれています。

──たいまって。

そう、あの大麻の茎です。
「大麻」はね、「神宮大麻」という神に近い繊維です。こっちの方が艶感があるでしょ。
神社の鈴縄にも使われています。

昔は「奈良晒」に「苧麻(ちょま)」と「大麻」、両方使っていたんですよ。
でも苧麻の生産量が減って、明治くらいから大麻の方が増えてきました。

──でも大麻って、どうしても麻薬の方を思い浮かべてしまいます。

だから「たいま」と言わず、「おおあさ」と呼んでいます。


明治時代、一気に武士がいなくなり衰退の一途をたどる「奈良晒」

──話が逸れましたが、裃に戻りましょう。

とにかく徳川家康が奈良に来て、それを奨励したから爆発的に奈良晒が増えた。
ところが明治になると、一気に武士が減って裃はいらなくなります。誰も裃を着ろと言わない。
だから奈良晒は、どどどっと衰退していきました。

──なるほど。数奇な運命だなあ…。

だから、何か他のものを開発しようとしたんです。
でも簡単に他に量を捌ける物は生まれない。
そこで明治初期、奈良晒で作ったのが「蚊帳」です。

──これが蚊帳!

手織りの蚊帳です。大きくて持てないでしょう。

──大きい!!重たいですね。これを作ったのも岡井さんですか。

うちの先代が作ったんです。武士の時代が終わり、峠がいらなくなったからこれをやろうと。
もう一つは代々茶道を。
千利休が「奈良晒は茶器に向く」というてくれたもんやからね。
千利休のおかげで、茶道の世界では「奈良晒」というブランドができています。

──茶道では「茶巾」に用いるのですか。

うん。
戦後も続けていたけど、蚊帳も安価なものが出てきて、また売れなくなった。

──今のような軽い蚊帳が出てきたわけですね。

うん。その頃に戦争が起こります。昭和20年ですね。
その時は、軍から衣料品を作れと頼まれてね。手綿で織ったものです。
その軍事産業が終戦後まで続きますが、それ以降は、お茶のブームが来たりしながら、今日までも茶巾などは変わらず作っています。

──そんなこんなで続いてきていると。

僕で5代目です。
息子は継いでくれると言って、6代目。姉と一緒に仕事してくれています。
一方、奈良晒を織る人は数人になった。
でも絶やしてはいけない。
だからといって、ただ昔ながらのものを作っていくだけでは足りない。
今の時代に合うものを都度考えています。


インターネットとか、どんどん進んでいくけど、僕らは昔に戻っている。

──具体的な取り組みを教えてください。

たとえば、大和機(やまとばた)を復元して使っています。
機(はた)には、いろいろ種類がありますが、有名なのは「高機(たかばた)」です。
高機が一番織りやすいので生産効率が上がる。ウチもずっとそれで織っていました。
じゃあ「奈良晒」の生まれた江戸時代前はどうだったかというと、「大和機(やまとばた)」という奈良特有の機を使っていたんです。

それで実際どういう機なのかと調べると、大和機は専用の職人がいたわけではなく、大工さんに、独自で工夫して作ってもらっていたようです。
奈良の知り合いの学芸員さんに話をしたら「大和機の資料があるからそれをもとに復元したらどうですか」と。

──おー。

せやけど、探しても復元してくれる人がなかなかいなくてね。
10年くらい前にやっとできそうな人が見つかって、図面を見せたんですよ。
見せてみると「これは作れそうだぞ」と。
そして今、復元して織れるようになっているんです。
特徴としては竿が長くて(横からの写真を出す)、ぷらぷらとして織りにくいんですよ。
効率は良くないけど、バランスがいいんです。打ち込みも良くなるので生地はしっかりします。
江戸時代は、やはり大和機でしっかりした生地を作って、裃にしていたと思うんです。

──できるだけ江戸時代のクオリティに戻していくんですね。新しい取り組みだけど、古いものに戻る。

そうそうそう。
世の中インターネットとかがどんどん進んでいくけれど、僕らは昔に戻っているんですね。
でもそれはそれでいいのかなと私は思う。大量生産ではないし。
僕のとこは僕のとこの値段で売って、買ってもらえたらいいかなと。
高いか安いか知らんけど、いろんな計算した上で、この値段ということで。

──京都の帆布の職人さんも同じようなことを言っていました。「時代に遅れ続けようと思うねん」と。

最近新しく作っているものは、やっぱり茶道具。古袱紗や数寄屋袋。
たとえばコースターでも、1枚1,500円くらいするけれど、それはそれで価値と認めてくれる人がいるから買ってもらえます。


日本中探しても、私のとこしか持ってない「糸」

この棚に積まれている鳥の巣みたいなものは、奈良晒の糸ですか。

そうです。全部これを細くしたものからできている。

とても大変な作業ですよね。

すごく時間かかります。でも僕のとこはこれをまだたくさん持っているんです。
今、糸作れと言うたら一羽作るのに1年以上かかる。

え、これ全部繋がっているんですか、繋いでいって糸になっているんですか!

繋がってる、全部ね。捻って繋いでるんです。

とても大変ですね。こんなことやれって言われたら、これは……

一本がだいたい2mなので、2mごとに繋ぎ合わせています。ほらここ。

無理だ。

(笑)
繋ぐ前にもまず、細く割いて糸にしないとダメですからね。

割くには、専用の道具とかあるんですか。

手で。

……。この、上に乗っているパラパラは何ですか。

これは「重し」。
使う時に、押さえつけないと糸が全部上がってきてしまうから。

こんな小さい粒が重しになるんですか。

なります。本当は糠(ぬか)が一番ですね。米糠。
昔は米糠を重しにしていました。

糠はこんな所にも使われているんですね。

糠だけでなく、お米の研ぎ汁も使っていましたよ。
灰汁をとって、柔軟性を出す効果があります。
まあ、糠もとぎ汁も、そこにあったからでしょうね。生活の応用。

この作業をされる方はもういないのですか。

ほとんどいないですね。

昔は奈良にたくさん業者がありましたけどね、寝具屋さんに変わったりしましたが。それもみんなやめてしまって私のとこだけ。

だから、私も継ぐ時嫌だったんですよ。20歳過ぎで60-70のおばちゃんばっかり相手するんです。
今となったら、定年もないし、良かったのかなという


昔は家で留守しながら手仕事をやるのが年寄りの一つの習慣でした。

20歳そこらの時に継がれて、60〜70代の方を相手にしてというのは営業活動ということですか。

そうそう、営業活動もそうですし、織ってもらったり、それを見せてもらったり。
作業してくれる方100人くらいいましたからね。

この辺りに。

もっと奥、ずっと奥、山添村、宇陀とかね。
その辺り一体の方々に頼んでいました。

みなさん、おばあちゃん、それぞれ1年かけて糸を作ってくれる。

「1年」って、言うのは簡単ですけど朝から晩まで休まず、毎日ですよ。
月に1回くらい会いに行くようにしていましたけどね。
しばらく行かなかったら、「もうできたから、仕事ないからはよ来てくれ」って、どんどん電話が掛かってくるんです。

1日回ってくると大体50〜100羽くらいどーんっとできる。
今では想像つかないと思うんですが、そんな時代でしたから。
今の年寄りは元気やから出かけたりするけど、昔は家で留守しながら手仕事をやるのが年寄りの一つの習慣でした。 この辺みんな、機織り関係ばっかり。

みんな織の村!(笑)当時一番の売れ筋って何だったんですか。

やっぱり茶巾でした。
茶道は衣食住の全てに通じていますよね、食、お花、書も。
だから教養がなかったらお茶はできない。
茶道具で奈良で作っているものは茶巾と茶筅ですかね。


やから継がなしゃあないもんね。

岡井さんは、どうして継ぐことになったのですか。

僕が中学3年の時に親父が亡くなったんですよ。その時、祖父が7、80だからね、もし死んだらそこで商売終わりになりますから。
祖父は継いでほしかったみたいだけど、「継いでくれ継いでくれ」って言うたら反感で継がへんかもわからんからってあまり言わなかったけどね。

高校を卒業して、手伝い始めて継ぐという流れですか。

そうそう。
当時、祖父がすでに75くらいになっていましたから、そんなに色々動けへん。やから継がなしゃあないもんね。母親もいたから、僕は織を母から教えてもらいました。

仕方なく継いで、今現在、岡井さんだけが残っているんですよね。

その当時から織物としてはもう僕のところしか残ってない(笑)

え!当時からもう奈良晒の最後の一軒?

そうそう、50年前。だから余計に「やらなしゃあないかな」と思ったんです。
今振り返ると、それはそれでいろんな人生あるかな。


岡井さんの織教室。織るだけじゃなく14回の内、半分は織り始めまでの所作、準備。

織教室をされているんですよね。

奈良市の工芸館に機が10台あります。そこで毎年、全14回のコースで織教室をしています。 この横糸で織っているんですけど、

参加者の皆さんは、ちゃんとこの糸で織れるんですか?

そう、だから皆すごいって喜んでくれるんですよ。

それは、高級ですね。

高級ですよ。

毎週あるんですか。

毎週あります。織るだけじゃなく14回の内、7回か8回は織り始めまでの所作、準備です。
織るのは次から。そうすると織る喜びが非常にあるわけです。

そのコースでは、何が完成するんですか?

40㎝×6〜7mの生地ができます。
その生地から何を仕立てるかは、その方の自由。
暖簾、日傘、ポンチョを作った人もいましたよ。とりあえず藍染しておいて、これから何をしようかと考える方もいました、もう色々。
この活動は、14〜5年していますが、リピーターも多いです。

若い方も多いですか。

50〜60代が多いかな、今来ている方には80代もいますけどね。
皆ほんまに熱心。織り始めたら、私語一切なし、もう一生懸命織っている。
こういう麻の教室をやっているとこが日本にないみたいなんです。
この糸使っているから、余計にないね。

だって、この糸…。

糸もそうですが、やっぱり奈良晒の良さを分かってくれる人はいる。


祖母がやっているのを見ていたので抵抗は全くないですね。ずっと糸見ながら育ったという感じ。

娘さんはどうして継ごうと思ったんですか、これはやっぱり聞いておかないと。

奈良に直営店舗がありますが、2店舗目をオープンしようとなったタイミングで加わりました。私は別の仕事をしていたんですけど、戻って来たという感じ。
お店も工房もいろんな仕事があったんで、これはなかなか大変。やってみようかなという。

ずっと育って来た家で、祖母とかがやっているのを見ていたので、抵抗は全くないですね。
糸を見ながら育ったという感じ。

継いできたものを閉ざしたらあかん 、というような使命感もありますか。

そうですね。誰もやってないですから。
これから先、古いものを残しつつ、これまでと同じものではやっていけないと思います。
奈良晒を欲しい方はいるんですよ、若い方でも。

でも、帯がいるかって言われたらいらないんで、小さい巾着とか、「奈良晒はどれや」って言われた時に「これだったら買える」値段と商品ですよね。これからそういうものを作っていかないと、ただ単に糸だ生地だって言われてもね。
時代に合わせて、お客さんが来られた時に自信を持って出せるものがやっぱりいります。

あとはインバウンド。
外国の方、けっこう麻が好きなんですよ。興味があるのか、一生懸命見てくれる。
外国の人たちは「(これだけの仕事は)高いのは当たり前だ」と、日本は「ええけど高いな」と。

お父さまからの最後のコメントをお願いします。

なくなったら本当におしまいだから、誰かがやらないといかんのだけど。
私で終わらず良かったなと、何とか続いてくれたらと思っています。
大きな会社のように、大々的にはできないけど、やっぱりいい物を繋いでいくというかね。
お客さんに会って喜んでもらって、それが励みにもなりますしね。買ってもらうって大事ですよ。

ありがとうございました。


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株式会社岡井麻布商店
岡井孝憲さん

文:
HANAO SHOES JAPAN実行委員会

撮影:
株式会社岡井麻布商店

HANAO SHOES HP:
https://wholelovekyoto.jp/category/item/shoes/

株式会社岡井麻布商店

場所:〒630-2163 奈良県奈良市中之庄町107
TEL:0742-81-0026
HP:http://www.mafu-okai.com

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奈良|奈良晒|株式会社岡井麻布商店

伝統的な手仕事は「日本の美」として世界に誇れる、なくしてはならないものと私たちは日々感じています。HANAO SHOES JAPANは織物・染物の伝統が多くの人の目に触れ、見る人それぞれがゆかりある地場の手仕事に興味を持つ機会となるプロジェクトです。
ここでは47都道府県全ての工房にインタビューをお願いし、ここでしか聞けないお話を聞いています。

今回は株式会社岡井麻布商店の岡井孝憲さんにお話をお伺いしました。