HANAO SHOES JAPAN
#19


兵庫|丹波布|sankara

伝統的な手仕事は「日本の美」として世界に誇れる、なくしてはならないものと私たちは日々感じています。HANAO SHOES JAPANは織物・染物の伝統が多くの人の目に触れ、見る人それぞれがゆかりある地場の手仕事に興味を持つ機会となるプロジェクトです。
ここでは47都道府県全ての工房にインタビューをお願いし、ここでしか聞けないお話を聞いています。

今回はイラズムス千尋さんにお話をお伺いしました。

「丹波布伝承館」を卒業した人が丹波布伝承者になる

──まず初めに、再度、お名前と工房名と創業年と何代目かをお聞きしたいです。

はい。名前がイラズムス千尋です。工房名はsankaraといいます。

平成20年に丹波布の伝承教室を卒業したので、丹波布の工房としての創業年は平成20年になります。
丹波布に何代目とかいうのは無くて、「丹波布伝承館」という丹波市の運営する長期教室を卒業した人が丹波布伝承者になります。
私はその5期生です。

──HPを見させていただいて、一度岡山に行き兵庫に帰って来られてから学校に通われていたとのことですが、どういうきっかけで岡山に行かれて、再び兵庫県に戻って来られたのですか。

私は兵庫県の伊丹市出身で、結婚していなかった頃に主人と出会いました。主人が岡山の備前焼の修行をするということで岡山に移って、結婚したという形です。
私も岡山で何か作りたいと思うようになって、岡山で織物の教室に行き始めたんですね。
だから岡山に行ったきっかけというのは主人の仕事と言いますか、人生の転機が岡山に行くことだったからですね。
そこから5年経ったあと主人が独立することになって。備前で独立しても良かったんですけど、どうしても備前焼の作家さんがとても多い地域だったので少し離れたところで独立したほうが作風も広がるかな、というので独立先を岡山以外で探していたんです。その時に祖父母が住んでいる丹波市に土地と窯が作れる山があったので、兵庫県に戻ってきたという感じですね。

──工房を始められたのは千尋様ご本人だと思うのですが、それまでにおばあさまであったりは丹波布に関わりを持っていたのですか。

そうですね、全然ありませんでした。
私自身丹波に来るまで丹波布を知らなくって、丹波に移ってきて初めて知ったくらいで。
祖父母からも丹波布の話を聞いたことはなかったですね。


紡いで染めて織って、全て一人で

──今はご本人の名前で活動なさってますが、一人でやられているということですか。

そうですね。
紡いで染めて織ってというのは全て一人でやっています。

──えーすごい!

丹波布って一度無くなって復興しているんですけど、その復興前は分業でしていたみたいですね。でも今は丹波布の伝承館で全部の工程を習うので、それを習得した人は最初から最後まで1人でやっています。

──教室に通われていたということですが、その期間は大学と同じように何年間と決まっていたりするのですか。

そうですね、2年間で週4回。火曜以外の月水木金の10時から16時まで教室に通って習います。

卒業するには、1年間にこれだけのものを何本織りなさいという課題があって、その1年が終わったら2年目も同じように課題があって。
それが全部クリア出来ると修了という形で認定証をいただけます。

──なるほど。週4回、朝から夕方までって結構がっつりなんですね!(笑)

そうなんです。(笑)拘束時間が長くて。
夕方には子供に英語を教える仕事もしているんですが、夕方からの仕事だったのでまだ良かったんです。けどやっぱり私くらいの年代の人は仕事を辞めてくる方もいましたね。2年間そこに通い続けるのは結構大変なことだと思います。


丹波布4つの約束
・手で紡ぐ
・草木で染める
・手織りする
・緯に白い絹糸を入れる

──すごい。2足のわらじを履く生活をされていたんですね。丹波布を作る工程っていろいろあると思うんですけど、工程の順番で一番肝になるところを教えていただきたいです。

丹波布は素材が木綿なんですけど、まずそれを糸車で紡いで糸にします。
今度はその糸を草木で染めます。染料になる草木は買ったものではなく、身の回りのものを集めたり自分で採ってきたりしています。
今度は染めた糸を機織りでとんとんと織っていきます。
そしてもうひとつ丹波布の特徴が、最初から最後まで機械が入らないというところと、緯に絹糸を入れるところです。縦横それぞれ手紡ぎの木綿糸を使っているんですけど、緯に白い絹糸をいれています。

丹波布って工程の中で守らなければいけない4つの約束というのがあって、それが「手で紡ぐ・草木で染める・手織りする・緯に白い絹糸を入れる」の4つです。

なぜ横に白い絹糸を入れるのかというと、この辺りは昔養蚕が盛んでお蚕さんを沢山飼っていた地域でなので、出荷できないお蚕さんの繭をお家で糸にしてそれを横に入れ始めたという風に聞いております。
丹波布ってもともと農家の主婦の方の副業だったんですね。それで身の回りのものを使おうというのが根底にあるんです。

──なるほど〜。

丹波布は手織りで工程の全てが繋がっていくので、ひとつひとつがとても大切なんですど、やっぱり一番肝になるというか難しいなと思うところは糸を紡ぐところですね。
用途によって糸の細い太いっていうのは変わってきますし、糸が乱れていると綺麗に染まっても織った時に布が乱れてしまうので。
やっぱり糸紡ぎというのが布を作る上で一番肝になる部分だと思います。

──あの、草木で染めるっていうのは例えばどんな植物なんですか?

一般的なのが栗の皮ですね。栗の実のまわりにある茶色いつるっとした皮を使って茶色に染めることが多いです。
あとはコブナグサという草で黄色に染めたり、ヤマモモの木の皮で黄色に染めたり。あとヤシャブシの実という松ぼっくりのもっともっと小さいような実があるんですけど、その実で茶色やグレーに染めたりします。

──例えばピンクを作りたいと思ったら色を混ぜたりもするんですか。

丹波布ってあまり色を混ぜることってなくて、染料そのものの色を使うんです。
やっぱり身近にあるものを使うので、私の場合だと庭にあるビワの枝葉を使ってピンクに染めたりとか。あと梅の木を剪定した時に赤茶を染めたり。
そうやって身の回りのものを使って理想の色を作ります。

──色々な実であったり枝葉を使われているんですね。近くに山があるとおっしゃられていたのでそこから採ってきたりもされているんですか。

そうですね。私の場合だと主人の窯場が山にあるのでそこに染料になるものを植えたり採ってきたりもします。
ただ栗の皮はなかなか剥くのも大変なので近所の人に声をかけたり、近くの和菓子屋さんからいただいたりとか。そうやって他の方からいただいたりすることもあります。

──なるほど。和菓子屋さんから栗をいただいたという風に言われていたように、その染め物と地域の繋がりってなにかあったりしますか。

そうですね。
やはり地域で採れたものを使わせてもらっているというところで繋がっているのかなというのはあります。


民藝運動の柳宗悦が丹波布を発見していなければ忘れ去られていた。

──もともとが蚕を飼われていた頃から始まっているとおっしゃっていたんですけど、丹波布自体の歴史ってとても深いですね。

そうですね。やっぱり丹波布って奇跡的だなと思います。言われるところでは江戸時代の終わりから作られ始めて出荷されていたみたいなのですが、その出荷されていた丹波布が明治に入ってから機械化の影響で安い布に押されて一回無くなってしまうんですよ。
その忘れ去られていた時に、民藝運動の柳宗悦さんが京都の朝市で丹波布のはぎれを発見されて、その布に凄く惹かれて産地を調べたら丹波に行き当たって。
そこから復興運動が始まるんですね。それがまあ70年くらい前なんですけど、その柳さんが丹波布を発見していなければ忘れ去られていた。こうして今私たちが作ることもなかったんです。だから柳さんの発見によって丹波布が復興されて、それが今までずっと作られているっていうのは面白いなって思います。

──千尋さんからみた丹波布や素材の魅力って何だと思いますか。

素材を取るところから織り上げまで全部一貫して自分で行うので、失敗しても自分のせいだし、全部の工程を自分ですることが清々しくて、誰のせいにもできない。そういうところで面白いなと感じています。あと、全部の工程の中で私は染色が好きなんですけど、素材が自然物なので染める時って毎回同じ色というのはできないんです。でも、こんな色を染めたいな、美しい色に染めたいなというのは毎回チャレンジできるというのが面白くて、凄く私は好きだなと思います。

素材に関して言えば、丹波布って縦糸と横糸が全て手で紡いでいる糸なので、手紬の糸を使うことでふっくらしたりとか、機械の糸に比べると手紬の糸って柔らかいですし、空気も含んでいるので、布になった時の一体感っていうのはいいなって思っています。

──手仕事でないと出せない良さってありますもんね。


昔の主婦たちは「もったいない」と言って
藍を(少量)効果的に使った

──他の産地の染物と比べ特徴となっている部分というのは、素材を採取するところから織りあげるところまで全て手で行われているというところでしょうか。

そうですね。手紬糸というところと、横に白い絹糸を入れる。という、それは他の産地でもないんじゃないかなと思ってます。あとは他の木綿の産地と比べて、藍を使う量が少ないんですよ。丹波布は藍を効果的に使うというのが特徴で。藍染は自分達ではなく紺屋(こうや)さんという藍染専門のところで染めて頂いています。藍染を紺屋さんに頼むとやっぱりそれだけのコストがかるので、昔の主婦たちは「もったいない」と言って藍を効果的に使ったという話があります。なので、色の使い方とか模様も特徴かなと思います。

──なるほど、昔の主婦の方々の知恵が今の丹波布に生かされているんですね。

そうですね。そういう部分でも共感できる部分もあったり。面白いなと思いますね。

──丹波布と京都って何か関わりがあったりしますかね。

昔の丹波布は京都に運ばれて市場で売られていたみたいなので、関わりはあったんじゃないかなと思います。今も着物とか帯を作るので、京都の問屋さんに出したりしています。

──今おっしゃった着物や帯以外に丹波布はどういう製品があるのですか。

まず反物を作るのと、反物を作る時に少し長めに布を織って、それをバッグにしたりとか、小物に仕立てたりとかもします。あとは、首に巻いたりするようなストールも作ったりしますね。やっぱり日常的に丹波布を使っていただきたいなと思っているので、日々の生活に使っていただけるようなものを作っています。

──ストールや帯って大きさが全然違うと思うのですが、それぞれの大きさによって制作期間が変わったりするんですか。

ストールは一本だけ作るんじゃなくて、5本分くらいまとめて作るんですね。ストールって1本2メートルくらいなんですけど、10メートル分くらい準備していっぺんに織ってしまうので。だからストール1本分と帯2本分はあんまり制作期間変わらないですね。

──そうなんですね。色々作られているとは思うんですけれども、一押しの商品ってあったりしますか。

やっぱり“布”というのを感じていただきたいなと思っているので、身につけるとか、肌に触れるものの方が丹波布の良さが分かっていただけるんじゃないかなと思っています。だからストールとか、着物とかですかね。小物でいえば例えばブックカバーとかポーチとか、よく触るじゃないですか。そうやって手に触れる商品というのはいいかなと思っています。

──なぜHANAO SHOES JAPANの企画に賛同して頂けたのか教えて頂きたいです。

凄く面白いなと思って。若い人が新しいことを思いついて何かをするというは応援したいなという気持ちもありましたし、アイデアも面白いなと思って。丹波布は昔の製法や技術、柄を使うので、現代の生活に合うのってなんなんだろう、というのを考えながらずっとやっていて。
だからHANAO SHOESの、昔下駄についていた鼻緒をスニーカーにのせて使おうという発想が面白いな、というのがまずあります。あと、古いものを新しいものに上手く融合させてそれを生かしていくというところに賛同したので、協力させて頂きました。

──ありがとうございます。最後にHANAO SHOES JAPANの企画を通して丹波布と出会う方々に向けたメッセージをお願いしたいです。

丹波布の質感をまずは感じて頂きたいです。
あと、植物が出す色の美しさというのを楽しんでいただけたら嬉しいなと思います。新しいものと古いものが上手く融合してまた別の形を作っていく、というのも面白いなと思っているので、こうやって真っ白なシューズに丹波布がのっているというところも楽しんでいただけたら嬉しいです。


HANAO SHOES JAPAN
#19
sankara
イラズムス千尋さん

文:
HANAO SHOES JAPAN実行委員会

撮影:
sankara

HANAO SHOES HP:
https://wholelovekyoto.jp/category/item/shoes/

sankara

場所:〒669-4253 兵庫県丹波市春日町鹿場491
TEL:090-6435-9625
HP:http://www.sankara-textile.com/

HANAO SHOES JAPAN
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兵庫|丹波布|sankara

伝統的な手仕事は「日本の美」として世界に誇れる、なくしてはならないものと私たちは日々感じています。HANAO SHOES JAPANは織物・染物の伝統が多くの人の目に触れ、見る人それぞれがゆかりある地場の手仕事に興味を持つ機会となるプロジェクトです。
ここでは47都道府県全ての工房にインタビューをお願いし、ここでしか聞けないお話を聞いています。

今回はイラズムス千尋さんにお話をお伺いしました。