──岸田さんが以前「京都は盆地なので音の響き方が違う」とおっしゃってた気がするんですけど。
岸田繁:
またそんな適当なことを言うてましたか…。
(一同爆笑)
──実際のところ街の音っていう意味でいうと、京都の街の響き方は違ったりするんですか?
岸田繁:
たとえば東京では東京の音が鳴っています。
それは単純に人が多かったり交通量が多かったりということで違ったりもします。
あと東京でも街によってぜんぜん違ったりするということはあります。
京都は街自体がぎゅっとまとまってて意外と広い空間がないじゃないですか?
わりに全部が密集してるからキュッとしてる感じが強いんですけど、高いビルが多くないのでスーッと音が抜けていって山のとこで溜まってる、みたいな印象がありますね。
ちょっと遠くから聞いてたりすると大きい音が出た時にふわっと消えていく感じがします。
それはやっぱり東京や大阪とは種類が違うなとは思います。
神戸も海と山やからまた聴こえかたが違いますしね。
──やっぱり京都に帰ってきたら「京都の音」を感じることってあるんですね?
岸田繁:
まあもちろん思い込みというのもあるんでしょうけどね。
ちょっと出張行って新幹線で京都駅戻ってきたら心拍数がスッと下がる感じはありますね。
野中智史:
ありますよね。
岸田繁:
あと京都でも地域にもよると思います。
ここらへん(祇園界隈)とぼくが住んでる地域だとまたちゃいますしね。
京都はこまごました音が多い感じはするんですけど、やっぱり静かなんちゃうかなと思います。
まず京都は大きい音の発生源自体が少ないでしょう。
空港もないですし、いわゆる中心部に限って言うたら
高速道路も高架の鉄道もほとんどありませんし。
街で鳴ってる音のなにがうるさいかっていうと高速道路と高架の鉄道やと思ってるんで、それがないだけでこんなに静かに感じるんやなあと思います。
東京・名古屋・大阪はずっとゴォーーーっていうてる感じが、なんとなくしますよね。
そのほかの街でも都心部はわりとそういう大きい音が鳴っている。
でも大都市でも京都、広島、仙台、福岡あたりはなんとなく静かやなあとは思います。
──京都の街の音で好きな音とか、「これぞ京都」っていう音あります?
岸田繁:
ぼくはお坊さんが雨の日の朝とかに「おーーーーい」って回ってくるアレですね。
(一同爆笑)
野中智史:
たしかに京都以外で托鉢ってあんまり会うたことないですよね。
子どもの頃とかめっちゃ怖かったですもん。
岸田繁:
怖かったですよね。
やっと通り過ぎたと思ったら、別のお坊さんが3人4人と来たりとか(笑)
──一定間隔あけて、何人かのお坊さんが続けて歩いてこられますからね。
岸田繁:
あとはあの古紙回収のトラックが鳴らしてる音楽かなぁ。
──西部劇「誇り高き男」のテーマですよね(笑)。
京都以外の人はわからないと思いますけど、京都にある某古紙回収会社のトラックが街中を走りながら大きい音で流しています。
岸田繁:
あれ聞くと「ああオレいま京都におんねんなあ」と感じますね(笑)
──野中さんはどうですか?
野中智史:
京都の音というよりこの界隈の音ということになってしまうのと、あと音風景というか情景とセットで覚えてる感じなんですけど、花見小路が石畳になる前はアスファルトで電信棒もまだ立っていて、雨上がりでアスファルトがふだんより黒くなって、夕方で、お茶屋さんの前に仕出し屋さんが自転車でつけて、早い時間から始まる宴会の音、建物から三味線とお客さんの「アッハッハ」っていう笑い声が聞こえてくる。
京都の音でいうたら、あの感じが人生で一番印象に残っています。
賑やかで、しかもちょっと梅雨明けの季節、ちょっと蒸し暑い、日暮れどきの祇園の音ですね。
いまでも忘れられないです。
岸田繁:
このへんの地域ならではの感じですね。
情景が浮かびます。
野中智史:
自分の中での京都の音になってきてしまうんですけど。
岸田繁:
いやいや、そっちが正解。
そっちが正真正銘、京都の音ですよ。
(一同爆笑)
野中智史:
あと、隣近所の人はバイクの音に敏感。
「この時間やし、だれだれさん帰ってきはった!」って。
岸田繁:
車種がわかったりしますね。
野中智史:
ああ、そうですね。
──そういう「生活音」って京都らしさや街の音として記憶に強く残りますよね。
いまの時代は視覚情報ばかりが重視されていて、ネットも動画が中心になってきていますし、みんながなんらかのモニター画面を見て視覚から情報を得ている。
でも耳というのは、じつは一番原始的な身体器官ですし、音は情景や記憶をリマインドするのにとても需要なファクターだと思うんですけど、そういう聴覚情報に対する意識がすごく失われている気がするんですよね。
岸田繁:
ああ、それはそう思いますね。
京都ってもともと公共マナーという点ではむかしから意識が高い街でもあるので、屋外広告物の規制や高さ制限など、他の都市よりかなり厳しい基準を設けてますよね。
とくに広告物とかはここ数年でだいぶ厳しくなってて、ある京都の商業施設なんかでもグリーンだったカラーが黒一色に変わってました(笑)。
最初はさすがに地味すぎるかなあとも思ったんですけど、それに慣れてしもてるから、他の街に行って看板や広告を目にしたときに「まぶし!」って感じたんですよね。
野中智史:
たしかに。
岸田繁:
それはたぶん音もおんなじで、街がうるさくないっていうのも精神衛生上良いことなんとちゃうかなって思います。
そういう意味で京都はそんなうるさくない街ではある。
でもそのいっぽうで、たとえば地下鉄の車内アナウンスでは「次は○○―」って言うたあとに「なんたら病院はここでお降りください」みたいなどっかのCMまで入ったりするじゃないですか。
ずーっと喋っとるから、うるさいなあと思ったりもするんですよ。
東京の地下鉄とかだと乗ったら発車してしばらくアナウンスがなくて、着く前にちょこっと駅名言わはるだけみたいな。
このくらいでいいのになと思うことはあります。
ヨーロッパとか行ったら、ブザーとかもあんまり鳴らへんからね。
もうちょっと日本も静かでもいいのにな、っていうのはオッサンになってから思うようになりましたね。
──「線より前に行くな」とか「ここで乗り換えろ」とか「どっちの電車が先に到着する」とか、いちいちなにかアナウンスがつねに喋ってますよね。
岸田繁:
それは駅だけではなくて「いらっしゃいませ」とかもそうかもしれませんね。
そりゃあもちろんいろんな人がいてはるから、必要な部分ではあるんでしょうけど。
でも「京都らしさ」っていうのは、静けさみたいなイメージだってもともと持ってる街の魅力のひとつやったとは思うんです。
広告物やら高さやら規制したんやから、次は音規制とかがあってもええのかなとか思ったりはします。
野中智史:
たしかに高さの次は音っていうのもあるかもしれないですね。
温新知故
#16
野中智史×岸田繁
文:
松島直哉
撮影:
平居 紗季
岸田繁オフィシャルサイト
https://shigerukishida.com
くるりオフィシャルサイト
http://www.quruli.net
いわゆる「古きを訪ね新しきを知る」という視点からではなく、むしろその逆、新しいものの向こう側にこそ垣間見えてくる京都の先人たちの、技や知恵。
この対談シリーズでは、若い職人さんやアーティスト伝統文化の世界ではない人からの視点も交えた異色の対談集というかたちで京都の伝統文化に新しい光を当ててみたい。