──短大に進学して、卒業を迎えるときに、いよいよ大きな転機が訪れます。
SHOWKO:
そうなんです。短大を卒業するころになるとみんな企業や銀行なんかに迷いなく就職していく。4年制の大学に編入していく友人もいました。さて、じゃあわたしはどこかに就職したいのだろうか?それともこのあとさらに2年間、文学を学びたいのか?はたして2年経ったらなにが変わるのか?などなど、いろんなことをどっさり考えました。
そのタイミングである友人のお父さんから「あんたは焼き物の家の娘やのにあんたの口からあんまり焼き物の話を聞かへんなあ」と言われたんです。考えてみたらすごく素朴な質問ですよね。さらに「焼き物やってみたらええんちゃうの?そんな環境、なかなかないで」と言われてハッとしました。
たしかにそうかもしれへんなって。ずっと親からは「兄が継ぐからあなたは焼き物以外のことやってください」って言われていたし、子どもってほんとうに素直なもので、そう言われて焼き物はやったらあかんのやって除外してきたんですけど、その人に言われてこれもアリなのかなって初めて思えたんです。
それですぐ父に「焼き物の勉強をしてみたい」ということを伝えて、2年間焼き物の学校に行きました。
──最初にお父さまに伝えたときの反応はどんな感じだったんですか。
SHOWKO:
とくに拒否はされなかったんですけど「おまえにできるんか」みたいなことは言われましたね。とは言いつつやってみろという感じでしたけど、そういうことを言われると闘争心が湧くタイプなので(笑)。
──じゃあ闘争心を燃やしつつ、でも家で教わることはできないんですよね?。
SHOWKO:
そうですね。基本的に家には入らなくていいっていう話だったので。それにわたし自身も家に入ってしまったらキャリアを積めないわけですよね。いくら窯元の家とはいっても後継ぎでもないし、家で3年やりましたっていってもあまりキャリアにならないと思ったんです。なんとなく甘えている気もしたし。
それやったら、外で修行したほうが自分にとっても勉強になるんじゃないかと思って。「どこどこの窯元の娘さん」という扱いをしてもらえないところに行って自分を磨いたほうがいいなと。それで家には入らず、佐賀に行きました。
──しかし、それもなかなか相変わらずストイックな考えかたですよね。
SHOWKO:
自分でも逃げられないようにしちゃうんでしょうね。
──そういう性質なんでしょうね。きっとね。
SHOWKO:
そうなんでしょうね。最近やっと自分がストイックなんやって、わかってきました(笑)わざと逃げられないようにして、自分を追い込みながらちょっとずつ掴んでいくタイプなんですよね。
──それから佐賀に行かれたのは、ご友人の紹介で?
SHOWKO:
それがわたしはまったく知らないところに行きたかったのと、京都ではぜったいに学べない技術を身につけたかったので、イチから探すことにしたんです。とりあえず絵付けの技術を学ぶなら石川県の九谷か佐賀県の有田が有名かなっていうのでネットで探しました。2002年当時はウェブサイトを持っているところが少なかったんですけど、そこで師匠のところにヒットしました。
望月めぐみ:どうしてその師匠がいいと思ったの?
SHOWKO:
その人は釉薬をなんども繰り返し乗せては焼いてを繰り返して仏画を描かはる人だったんです。じつはわたしが京都の学校にいたときに、先生に「ちょっと釉薬を重ねてみたいんですけど」って言ったら「それはタブーだからダメ」って言われたんです。
なんでタブーなのかというと、少ない焼成回数で良いものを仕上げるのが職人として大事なことで、釉薬を重ねて何回も焼くなんてNGだと。そう教わっていたんです。でもその人はそのタブーをやってはって、しかも作品がすっごく美しい色合いで、これはすごい!と。
すぐにメールをして、メール友達になって(笑)。そうしたら「いちど遊びにおいで」と言ってくれはったので、佐賀に訪ねていったんです。もうその瞬間から「めっちゃいいわ、ここの場所」と気に入ってしまった。
佐賀の人は「なんにもないとこやのに」って言わはるんです。実際に田んぼと山しかないんですけど、でもそれでいいというか、逆にすべてがあるような気がしました。すぐに「ここに居させてください!」って言って弟子入りさせてもらいました。
望月めぐみ:
そのお師匠さんは、なんというかたなんですか?
SHOWKO:
草場一壽(かずひさ)さんです。
──その当時、草場さんはまだ若い作家さんだったんですか?
SHOWKO:
その当時で44歳くらいだったので、まあ若いですよね。いま考えるとわたしもそろそろ近づいてきたんですけど(笑)。わたしがいるあいだに工房がどんどん大きくなって、最初アパートの一室やったところが改装されて大きな工房も建てて、どんどん有名になっていかれたので、そういう作家としての変化する状況もそばで見せていただいて、いろんなこと学ばせていただきましたね。
──そこにはどのくらいの期間いらしたんですか?
SHOWKO:
そこには2年いました。もともとは3年のお約束で行ったんです。でもいまお話ししたとおり、急激に工房が大きくなっていくなかで、いつか帰ってしまう人を中途半端な状態で置いておくわけにはいかなくなってきたんですよね。それで師匠からは「せっかくならずっとここに居たらどう?」って誘っていただきました。
すごく悩みました。本当に。どうしよう?ずっとここに居たいという思いはわたしにもあったし、先生のことも尊敬していました。工房のあった佐賀県武雄市も大好きな場所でしたから。
望月めぐみ:
武雄!じつはわたし、武雄の焼き物がすごく好きで。
SHOWKO:
へー!そうなの?
望月めぐみ:
うん。古武雄っていう分類あるじゃないですか?松とかをザーっと描いてある。ダイナミックな感じのやつ。
SHOWKO:
うんうん、有田とはけっこう違う感じのね。
望月めぐみ:
わたし、それをたまたまなにかで見て、日本の焼き物の絵付けではこれがいちばん好きだなって思ったのよ。まだ行ったことはないんだけど。
SHOWKO:
そうなんや!
望月めぐみ:
うん。だからいま「武雄」っていう地名が出てきて、すっごいびっくりして。
SHOWKO:
えー、ぜったいにいちど行ってほしい!最高の場所やから。
望月めぐみ:
わたしは抽象画に興味があって、たまたまその古武雄の絵付けをたしか民藝館で見たんだと思うんですけど、これってアブストラクトだと思って、すごく惹かれてしまったんです。きっとあれはもう、大量に描いたことによってどんどん抽象化されたんだと思う。そこに一切の作為がなくて素晴らしいなあと思って。一時期、ネットで画像を集めまくっていました。
SHOWKO:
めっちゃ好きやん(笑)。
望月めぐみ:
そうなのよ!だからそんな偶然ある?と思って。
SHOWKO:
いろいろ収束したら一緒に行こう! 望月めぐみ:ねー、ぜひ行きましょう。
温新知故
#23
望月めぐみ×SHOWKO
文:
松島直哉
撮影:
福森クニヒロ
望月めぐみ HP:
http://www.mochime.com
SIONE HP:
http://sione.jp
いわゆる「古きを訪ね新しきを知る」という視点からではなく、むしろその逆、新しいものの向こう側にこそ垣間見えてくる京都の先人たちの、技や知恵。
この対談シリーズでは、若い職人さんやアーティスト伝統文化の世界ではない人からの視点も交えた異色の対談集というかたちで京都の伝統文化に新しい光を当ててみたい。