──大学卒業後、10年はチャレンジするといってはじめた切り絵作家としての道。メジャーな雑誌でも挿絵が載るようになりますが、それから実際に10年経って、いかがでした?
望月めぐみ:
じつは10年より前に変化が起きました。というのも、さっきSHOWKOちゃんが「筋力が足りない」って話してたのを聴いていて、ああ同じだなと思ったんですけど、ひとりだけで仕事をやっていると視野が狭くなるというか、自分が小さくまとまってしまうんじゃないかという焦燥みたいなものはわたしにも実感としてありました。
それで30歳の誕生日を迎えたその日に「わたし、いま外の世界を見なきゃ」と、ふと思いたって。
SHOWKO:
働いたの?
望月めぐみ:
そう。働いた。もちろん将来への不安とかは多少あるにはあったけど、本当にそれまで切り絵をやることに迷いは一切なかったんです。でも初めて30歳の誕生日に、これがすべてじゃないのかもと、急に世界がグラグラするような感覚に襲われたんですね。それで、そのときに尊敬している漫画家の先生の門を叩いて、「修行をさせてください」と漫画家のアシスタントになるんです。
──まさかの急展開ですね(笑)。有名な漫画家さんですか?
望月めぐみ:
はい。平安時代の京都を舞台にした作品を描かれている先生です。
──やっぱり、なんとなくどこかで京都は追っかけているんですね。
望月めぐみ:
そうですね、なんだかんだ京都にはずっと惹きつけられているんですよね。
──そのアシスタントのお仕事は何年続けてらっしゃったんですか。
望月めぐみ:
4年ですね。30歳から34歳まで。
──そこから離れられるのはどういう理由があったんですか。
望月めぐみ:
はい。最初からいずれ独立するつもりですということは先生にお伝えしてたんです。ただ、すごくやりがいのある仕事だったので、なかなかきっかけもなく。
──ズルズルと。
望月めぐみ:
そんな中、大阪の印刷会社の社内誌で切り絵の連載をしていたんですけど、その担当の方がNPO「京都大原郷づくり協会」の理事長さんと知り合いで「大原に空き家があるのでそこに住みながら制作する作家を探している」というお話をいただきました。
それでその話を先生にお話したら「いってらっしゃい」と。それが33歳のときかな。これだ!って思いました。それが2013年なので、ちょうど丸7年経ちました。
──切り絵に出会ったとき以来の「これだ!」ですね(笑)。
望月めぐみ:
そうですね(笑)。
──じゃあ万を持して京都に拠点を構えたというよりは、偶然にお誘いを受けて、ということだったんですよね。
望月めぐみ:
そうなんです。
──大原では何年くらい活動されてたんですか。
望月めぐみ:
3年いました。最初は1年半の予定だったんですけど、とても環境が良くて、延長させてもらったんですね。契約終了後も引き続き大原で拠点を探したんですけど見つからなかった。それで、たまたまそのときにご紹介いただいたのが、いまの拠点である“あじき路地”だったんです。
──子どものころから憧れの場所でもあったと思うのですが、実際に京都で活動されてみてどんな印象でしたか。
望月めぐみ:
生活と文化が非常に近い場所にあるっていうことで受ける刺激は大いにありますね。あと作品を見てくださるお客さんの観点の違いに気づきました。
──どういったところですか?
望月めぐみ:
作品に対して多くの方は受け身の観点なんですね。でも京都はものづくりの視点をお持ちのかたが非常に多いなと感じました。作り手と近い感覚で見てくださるという感触はありましたね。
手仕事が身近だった時代には当たり前だったのかもしれませんが、多くの都市部ではその感覚が失われている。それが京都には残っていて、ものづくりの感覚を通して人と人が繋がりやすい街だなと感じています。
──そもそも、おふたりが知り合ったのはいつなんですか?
SHOWKO:
2年くらい前かな。共通の友人を介して。なので、ぜんぜん長い付き合いとかではないんですよね。 望月めぐみ:長くないだけではなくって、じつはちゃんとこうやって話すのはむしろ初めてといっていいくらいよね。
SHOWKO:
そうそう!ちょこちょこ展覧会のときなんかにお話させてもらうんですけど、なんか似てるなあという感触があったから、いちどゆっくり喋ってみたかったんですよ。
望月めぐみ:
今日のためにとっておいた感じだよね。
SHOWKO:
ほんまやね。めっちゃ新鮮やもん。これまでは今日伺ったようなコンテクストとかもまったく知らなかったから。
──それは貴重な機会をここで実現できて、ぼくたちも光栄です。ここまでお話を伺ってきてなんとなく思ったのが、おふたりの共通点としては「物語」というのが、ひとつキーになっている気がしますね。SHOWKOさんは「読む器」というコンセプトで作品作りをされていますし、望月さんも源氏物語や演劇などそういう物語世界が作品に大きな影響をもたらしている。
望月めぐみ:
たしかにそれはありますね。
SHOWKO:
あります、あります。うん。
望月めぐみ:
たとえば先に完成形があって描くというより、描きながらモチーフが自由に繋がっていく感覚。物語を進んでいくように描いた結果が完成となる印象は、SHOWKOちゃんの作品を見てても思いますね。
SHOWKO:
わかる!それわたしもあります。モチメちゃん(望月さん)の作ったはるビデオを見たんですけど、刀が入るときのリズムがわたしが絵を描くときのリズムとすごく似てる気がしたんですよ。迷いがない感じとか、呼吸とかがね。
私も金彩ですごく細かい線の絵を描くんですけど、どういう精神状態で描いているかっていうとちょっとうまく言語化はできないんだけど、なんとなく自分のなかにあるんですね。その作業中の呼吸とか精神とかが、わたしと彼女とですごく似ている感じがしていて。
そういう自分の内部をつくりあげるときに、いったいどういうことをしているんだろうっていうのは、すごく興味があったんです。
望月めぐみ:
わたしは他の人にもよく言われるのが、“メディテーション”だよねって。
SHOWKO:
わたしもそれ、すっごい言われる。
望月めぐみ:
座禅だよねと。
SHOWKO:
そう!以前、朝早くからワークショップをしたあとで、お客さんが「座禅したみたいに気持ちよかったです」って言ってくれはって。作業中って、息を止めているようでじつは細く細く吐いてるんですよね。絶対に息は止めてない。
望月めぐみ:
あと身体の重心もですね。長時間作業するためには重心が大事。それと、手と目と脳が連動している感覚。
SHOWKO:
それ!ぜんぶがつながっていくのよね。
望月めぐみ:
「手で考える」という状態になっていく。そういう状態になると「手が喜ぶ」という感覚にもなって。
SHOWKO:
めっちゃ、わかる!
望月めぐみ:
描いていたり、彫っていたり。集中作業をしていると、すごく手が気持ちいいという感覚がある。そこにフォーカスして、わたしもSHOWKOちゃんも、作品をつくっているのかもしれないですよね。
SHOWKO:
わたしは医学のことはわからないけど、臓器移植した人の話で「記憶を引き継ぐ」みたいな現象があるっていうじゃないですか?あれ、ぜんぜん不思議な話じゃないと思ってて。ひとつひとつの細胞自身にも、感じたり考える力があるのかなと、細かい手作業を集中してやっていると感じるんですよ。
──いわゆる「ノってる」状態ですよね。自分の意識がどんどんなくなっていって、作品に導かれているっていう感じですね。
SHOWKO:
そうです、そうです。憑依するみたいな感覚。
望月めぐみ:
自分自身はどこかから来るものを顕在化する媒体であって、決して自分の中にあるものを表出しているわけではない。
SHOWKO:
そういう状態に入ってしまえば一瞬で描けるんだけど、そうなるまでに時間がかかるんですけどね。
──いわゆる作家さんがよく口にする「降りて来る」みたいな感覚のことですよね。
SHOWKO:
そう。でも作家だけじゃなくて経営者なんかにしても、そういう感覚をつねにクリアにしておくみたいなことって、あるんじゃないかなと最近は思いますね。
望月めぐみ:
SHOWKOちゃんは経営者でもあるもんね。
SHOWKO:
わたしはまだまだ、ぜんぜんダメですけど、優れた経営者ってみなさん決定が速いじゃないですか。それって必要なものと不必要なものをちゃんと瞬時に見分けてセグメントして判断されている。しかもそれは脳内の情報処理とか統計学とかそういうことだけじゃない、なにか本能とか反射神経のようなもの、そういう第六感的なものも動員されているから判断が速いんだと思うんです。
──身体が反応して勝手に動くみたいなことですよね?
SHOWKO:
ええ。だからその状態をつくることって、すべての仕事や生きかたにおいても、けっこう大事なことだという気がしてるんですよね。
望月めぐみ:
大きな流れの中の一滴。
SHOWKO:
在りかた、みたいな。
温新知故
#27
望月めぐみ×SHOWKO
文:
松島直哉
撮影:
福森クニヒロ
望月めぐみ HP:
http://www.mochime.com
SIONE HP:
http://sione.jp
いわゆる「古きを訪ね新しきを知る」という視点からではなく、むしろその逆、新しいものの向こう側にこそ垣間見えてくる京都の先人たちの、技や知恵。
この対談シリーズでは、若い職人さんやアーティスト伝統文化の世界ではない人からの視点も交えた異色の対談集というかたちで京都の伝統文化に新しい光を当ててみたい。