温新知故
#29


歴史と未来の波打ち際

京都のアートやクリエイティブ活動の最新事情を訪ねてみると、その奥には必ず伝統という財産が豊かに広がっていたりする。
いわゆる「古きを訪ね新しきを知る」という視点からではなく、むしろその逆、新しいものの向こう側にこそ垣間見えてくる京都の先人たちの、技や知恵。

この対談シリーズでは、若い職人さんやアーティスト伝統文化の世界ではない人からの視点も交えた異色の対談集というかたちで京都の伝統文化に新しい光を当ててみたい。

──出産はやっぱり現実世界に現実の命を生み出すという意味で、究極のクリエイティブだというお話でした。

SHOWKO
そうなんですよね。わたしはなにがなんでも男と女は一緒であるべきとも思わないし、やっぱり性差っていうのはあるんだなということも、出産を通じて実感したんですよね。

なので、あれもこれも女性差別でどうのこうのっていうつもりはない。たとえばわたしの家でみても、たしかに男である兄が後継ぎで、女のお前は土を触らんでええ、みたいなのがありました。

でもいっぽうでうちは女系一家で、祖父も父も養子としてうちに来た人なんです。外から来た人が家を継いでるんですよね。だから実質は女が支えてきた家でもあるんですね。

望月めぐみ
そうだったんですか。

SHOWKO
そう。それでひさしぶりに家に産まれた男の子が兄だった。そういう意味でも兄は特別だったんだろうな、というのはわたしにもわかるんです。

もちろん若いころは「なんで母たちは継げへんかったの?」「なんで女性は下支えばっかりしないといけないの?」っていうことに対する反発はありましたよ。

でもいまはいい意味で中庸というか「それもあり、これもあり」みたいな感じですね。まあ男もいて、女もいて、いろいろあるしね、という感じで捉えている。いちいち男性が、女性が、というふうにはあんまり考えなくなりました。

──たしかに性も多様化の時代ですから、男が、女が、というふうに考えることそのものが古くなっているのかもしれないですよね。みんな違う。だからいい。そうシンプルに捉えたほうが自由度は上がる気もします。もちろん制度的差別は未だに残っているのでそこは是正しないといけないですけど。

SHOWKO
そうそう。もちろん子育てに手がかかって物理的な自由はなくなるんですけど、でも意識のほうは子どもを産んでからのほうが、どこか自由になれた気がしますもん。わたし。

──たとえば子どもを産み、育てるということが作品をつくりだすことに似ているっていうお話があったんですけど、そのあたりの感覚をもうちょっと具体的に教えていただけませんか?

SHOWKO
そうだなあ。子育てをしていて感じるのは、自分はこの広い世界にたったひとりで生きているわけでは決してなくて、いろんな人たちのいろんな物語が交差している、その真っ只中にいるんだ、ということ。それをリアルに感じさせてくれるものなんですね。

わたしの人生はその数ある物語のなかのあくまでひとつ。父の物語、母の物語、兄の物語。それからご先祖さまの生きた時代の物語もあれば、子どもたちが生きていくこれからの時代の物語もある。時も超えて次元も超えて、いくつもの並列した大きな物語のなかで生かされているんだなあと思うと、子どもを育てている自分というのは、なにか尊い預かりものをいただいたような、そんな気持ちになるんです。

わたしSF好きなんで、ちょっとSFめいた話になりますけど(笑)

──ぼくにもふたり子どもがいるのですが、子どもというのは次の世代ということなので、自分の人生の時間軸が伸びるんですよね。自分の死後のことを見るための視力が必要になるというか。

SHOWKO
めっちゃ、わかります。100年後のこととか考えますからね。

──逆に女性であることでの窮屈さを感じることはありますか?

望月めぐみ
海外に行く時いつもひとりなんですけど、そういうときは身の危険に気をつけるという意味で、ちょっと窮屈というか、気にはしますよね。でも作家としてはないですね。ただ「女流作家」とかって言われるじゃないですか?あれはなんでしょうね。なんで男流作家って言わないの?って思いますよね。

SHOWKO
女社長とかね。

望月めぐみ
まあ華やかな感じというのはわかりますけど。

──作家というところにフォーカスすると、“かな文化”って女性がつくったものなんですよね。もともと日本文化の源流って中国からのもので漢文だった。だから男性は漢文で、女性はかな文化。つまりそれこそ望月さんがお好きだった源氏物語など、日本の国風文化を支えていたのは女性だったりするんですよね。

望月めぐみ
そういう背景があるからでしょうか。京都の男性は他の地域の男性と比べて、物腰の柔らかさとか女性的な面をふと感じることはありますね。

──女性的なコミュニケーションのほうがうまくいくっていうことを知っているからですかね。

SHOWKO
そういえば旅館とか割烹とか、大将は男やけどお店を握ってるのは女将さんというところが多い気がします(笑)。

──大阪の船場なんかでは男の子が産まれたら凹むって言いますもんね。あのへんでは女性が商売やったほうが成功するっていわれて。

SHOWKO
それで男の人も柔らかい人が多いのかも。

──さて、おふたりの今後の話をお伺いしたいと思います。今後チャレンジしていきたいことや、新たに取り組んでいきたい目標などはありますか。

望月めぐみ
いま自分が取り組んでいる切り絵やペーパーアートの可能性を少しずつ広げていく仕事を通して、ものづくりを将来につないでいく活動をしていきたいですね。ちょうどコロナ禍にあって外出自粛がいわれ始めた時期に、かんたんな切り絵のつくりかたをYouTubeにアップしたり、子どもたち向けの講座をしました。

わたし自身には子どもはいないけど、そうした活動を通して手でつくる喜びを次世代に伝えていきたい。私の場合「紙」という運命の素材と出会ったことで、「紙との対話」は一生をかけて続けていく仕事になると思っています。

──いいですね。神との対話ならぬ「紙との対話」ですね。

望月めぐみ
それと、これは京都ならではかもしれませんが、長く後世に残る作品をつくるという目標があります。それは例えば、寺社へのご奉納作品といったかたちです。

──御奉納作品というのは?

望月めぐみ
お寺や神社にお納めする作品のことです。歴史的に見てお寺や神社は信仰の場であると同時に「文化を育む場」としての役割も果たしていて、丹精込めてつくられこういった場に納められた作品は、長い時間の中でも守り伝えようと大切にされてきました。

現にそのような美術品がここ京都には数多く現存しています。手仕事が失われつつある今だからこそ、ものづくりを続け、令和の時代にもこんな作り手がいたということを、作品を通して未来の人々に伝えたい。そのために長く残る質の高い作品をつくり続けることが目標です。

──なるほど。SHOWKOさんはどうですか。

SHOWKO
わたしの場合は焼きものだから、逆に残ってしまうものなんです。それがイヤだなあと思っていた時期もありましたね。お菓子作家さんとかだったら、作品はお菓子だから食べるとなくなってしまって、美味しかった思い出だけが残る。それって、なんて素敵なんだろう!って、羨ましく思っていました。

でもいまはわたしがつくったものが、たとえ破片になったとしても、ずっと残っていく。だからその責任のもとで自分はつくっているんだ、ということに誇りを持って仕事をしています。

だって極端な話をすれば、土を焼き固めてつくった器というのは、それこそ縄文式土器みたいに1万年後とかそういう未来に残すことができるわけでしょう?つまり、1万年後の人類がわたしのつくった器を発掘して「お茶を愉しむ文化があったんだな」とか「こんな豊かな器を使ってた時代があったんだな」なんて発見をするかもしれないわけですから。

──やっぱりSF的な世界観なんですね。

SHOWKO
もう人生がSFなんですよ、わたし(笑)

望月めぐみ
生命が絶滅して荒廃した地球を発見した宇宙人が、この星にはこんな文明があったのか!とかね(笑)。

SHOWKO
そうなの。だからそういう遠い未来への責任があると思ってるから、やっぱり良いものつくらなきゃいけないと思っています。もちろん未来の人にだけではなく、同じ時代をともに生きている人たちにも、そういう長い時間のなかにある「いま」なんだということを感じてもらえる作品をつくり続けなきゃいけないなっていうのはあります。

──なるほど、興味深いですね。いまおふたりから共通して、作品や文化をどう未来へつないでいくか?というお話が出ました。東京のカルチャーは新しいものがものすごいスピードで生まれては消費され、ぐるぐると回転している。いっぽうで京都はどちらかっていうと、歴史という長い過去の時間があって、だからこそ、その反対側にある遠い未来を見ているんだなと感じました。



温新知故
#29
望月めぐみ×SHOWKO

文:
松島直哉

撮影:
福森クニヒロ

望月めぐみ HP:
http://www.mochime.com

SIONE HP:
http://sione.jp

温新知故
#29


歴史と未来の波打ち際

京都のアートやクリエイティブ活動の最新事情を訪ねてみると、その奥には必ず伝統という財産が豊かに広がっていたりする。
いわゆる「古きを訪ね新しきを知る」という視点からではなく、むしろその逆、新しいものの向こう側にこそ垣間見えてくる京都の先人たちの、技や知恵。

この対談シリーズでは、若い職人さんやアーティスト伝統文化の世界ではない人からの視点も交えた異色の対談集というかたちで京都の伝統文化に新しい光を当ててみたい。