温新知故
#20


音楽の作り手として。楽器の作り手として。

京都のアートやクリエイティブ活動の最新事情を訪ねてみると、その奥には必ず伝統という財産が豊かに広がっていたりする。
いわゆる「古きを訪ね新しきを知る」という視点からではなく、むしろその逆、新しいものの向こう側にこそ垣間見えてくる京都の先人たちの、技や知恵。

この対談シリーズでは、若い職人さんやアーティスト伝統文化の世界ではない人からの視点も交えた異色の対談集というかたちで京都の伝統文化に新しい光を当ててみたい。

──逆にポップカルチャーの世界では見せ方、アウトプットの仕方がSNSなどでも重要視されます。そのあたり岸田さんはどのようにバランスとっていますか?

岸田繁
あんまりなんにも考えてないですね。
自分でPRするというのは、やりやすい部分もある反面、本来それをやるべき役割の人がやらなくなったりしますよね。
結局バランスが悪くなったりするデメリットもあると思います。
いまは事務所の運営は自分たちでやっていますし、自分達でやらなあかんことは自分達でやろうとしてはいます。
でもどうなんでしょうね。
人によって方法論はそれぞれですし、そこはあんまり考えないというか、まずは自分らがご飯食べられることが第一なので、あんまり音楽業界がどうの、ってことまでぼくは考えないですね。

野中智史
まずは業界全体よりも自分たちがってことですよね。

岸田繁
そうです。
ただ、ぼくは時代も含めて恵まれた状況でこの仕事に就けたので、これからこの仕事を始めようとしている子らを見ると「なんてかわいそうなんだ」と思うこともあります。
でも結局は古くなったものが淘汰されるというのは必然なので、なぜいまのところまだ自分たちが淘汰されてないのかってことを考えてみたり、あるいはもっと過去に遡ってビートルズでもベートーベンでもいいんですけど、そういう人たちが、どうやって時代を変えてきたのか?なぜそれが時代を超えて残ってきたのか?
そういうところから学ぶということはあります。

野中智史
まあそれはそうですよね。

岸田繁
たとえば、こないだある仕事で九州の焼き物とかビードロのガラスを作ってる職人さんのところに伺ったんです。
そのなかで「小鹿田焼(おんたやき)」っていう焼物を作ってはるところに行って、ぼくより2つ3つ年下の職人さんが焼いてはるやつがすごい好きなんですよ。
もともと焼物とか興味はなかったんですけど、仕事で行って、ほんまに昔からのやりかたで同じものしか作らないっていうのを続けてはるんですよね。
おしゃれな、今風のことをやったらあかんのです。
しかもそこは問屋さんとかバイヤーさんからたくさん注文が来ても、作れる数が一日これだけって決まってる。
ものを作る姿勢として美しいなあと思ったんです。
へんに今風にせず、むかしのやりかたで焼いて、それで使ってくれる人がいるというのは素晴らしいなと思いました。

野中智史
それは理想的な環境かもしれないですね。

岸田繁
でもそれが何の上に成り立ってるかっていうと、国の補助ももちろんですけど、それを文化としてちゃんと残していこうっていう、実際やってる人たちの総意もあるんです。
それがすごくラッキーなところだと思うんですよね。
有田とか伊万里みたいにすでに認知度が高かったり、ブランド力があったりするわけでもないんですけど。

──これから少子高齢化が進んで、いずれ海外における日本の工業製品の競争力が落ちてっていう時代が来るとして、経済だけでなく文化を中心とした趣味・娯楽・芸術といった分野はどんどん淘汰が進むと思います。

岸田繁
だからこそ、伝統文化はじめ長いあいだ守ってた人たちに対しては、まず国や行政がちゃんと目利きをしてお金を出さないといけない。
その代わり逆にこれ以外はやっちゃダメですっていう決まりもセットで作らなあかんと思うんですよね。

──国で文化を守るお金を出す代わりに、文化を守る責任を作り手にも持ってもらうということですね。

岸田繁
そうですね。
実際、九州でいろんなものを見せてもらった時に、
お世辞にも良いとは言えない「あぁ、魂売ってしもてる」みたいなモノも正直あるんですよ。
けど、その小鹿田焼を作ってる村は現代のリテラシーでは考えられない「一子相伝」でやっていたりする。
現代的価値観ではやったらあかんことだらけ。
でも、そうじゃないと作れないし、
それが大事やってことを村の人たちみんながわかって作ってるから、
もうみんなまっすぐそれをやるだけ。

野中智史
それはやっぱり国の補助で守られてるんですよね?

岸田繁
ええ。でも伝統産業を守ることって田舎に行くほど厳しさが増していくとは思うんですけど、
もちろん京都であっても、やっぱり必要やと思います。

野中智史
京都も本気でそれをやらなあかん時が、もう来てると思いますね。

岸田繁
伝統工芸とか伝統的な音楽が守られてきた価値っていうのをちゃんと認めてもらう、
若い世代の人たちに知ってもらうっていうのは、必要やと思います。

──となると、やはり金の出所ですね(笑)。

岸田繁
最終的には文化庁とかになってくるんだろうと思うんですけど。

野中智史
そうですね。
お金っていうところ考えると、最終的には行政さんのお役目なんですよね。

──では、そういう時代にモノの価値を知ってもらうには、どうしていけばいいと思われますか?

岸田繁
最近思うのは、体験したことですごく楽しかったことって、素直な喜びが伝わると思うんですね。
たとえば、めっちゃうまそうに食うてる人を見てたら、ほんまにおいしいんやと思うじゃないですか。
難しいものってついつい難しく説明してしまいがちですよね。
京都というブランド性が邪魔をしてしまうこともあるなあと思ってて。

野中智史
わかりやすいはずのブランドイメージが、フタを開けてみると実態とかけ離れているということは、最近とくに京都で感じますよね。

岸田繁
それが結果的に「伝統文化=難しい」とかにつながっているジレンマがあるような気がしてます。
なので、そういうことを取り払って、たとえば三味線で鳴らされた音楽に本当に感動して、自分で毎日歌ってるうちに誰かが「その曲、何?」ってなるみたいに、ダイレクトな感動を伝えることが大事なんじゃないでしょうか。

野中智史
あんまり説明が多くても、とっつきにくくなりますもんね。

岸田繁
そうなんです。
伝統工芸品なんかにしてもだいたいシンプルで普遍的な良さがあるので、手に取ったりしてみたらパッと感覚的にわかってしまうものやと思うんですよ。
だから「難しいことはええから、使ってみ!」って感じのアプローチのほうがいいんじゃないですかね。

野中智史
とくに音楽とか音というのは、そうかもしれないですね。

岸田繁
ぼくも学校で教えてるから学生に「どうやったらいい曲作れますか?」って聞かれるんですけど、その答えってなくて。

野中智史
ないですよね。

岸田繁
それがわかったらラクなんですけどねえ(笑)。
いつもぼくが学生さんたちに言うのは「君は自分の作ったもので人を感動させたいのにそれができひんのは、たぶん人の音楽でそんなに感動したことないでしょ」ってことです。

野中智史
あー、それわかるなぁ。

岸田繁
「もっといろんな人の曲聴いて感動したら、たぶんもっといい曲ができるんちゃう?」って。

──それに似た話で、いまウェブサイトとかで若い人たちが小説を書いて投稿できるサイトが人気なんですけど、たぶん投稿している若者の多くがふだん小説とか読んでない人たちなんですよ。
つまり書き手は増えてるのに読み手がいないという状況がある。
なので「感動してないと感動できるものは作れない」っていうのは、実感としてすごくよくわかりますね。

岸田繁
逆に言えば長く続いているものはそれだけの時間淘汰にも耐えてきて、たくさんの人に認められてきたからこそずっと続いている部分もあるので、使ってみたりさわってみたり体験したりするとわかることってあると思うので、そういう機会を増やすことが大事かもしれないですね。

──伝統とポップカルチャーということでいうと、いまやってることが100年後には伝統になっているという可能性もあります。
流行りものも続けていけば伝統になる。
そういう視点を京都の人は持ってるなと感じることが多いんですけど、岸田さんはそういうことは考えたりしますか?

岸田繁
いや、自分がやってることが100年後に残ってるとは思ってないですね。
そうなればいいなと思うことはありますけれど、基本的にはポップ・ミュージックというのは「旬」のものだと思ってます。
作る曲のスタイルやジャンルによっては、もっと長く使ってほしいものはありますけど、ほとんどのポップ・ミュージックは「いまがすべて」だと思うので、長期保存には向いてない気がします(笑)。

──消費財的な感じですか?

岸田繁
生鮮食品みたいなものですね(笑)。
でもたまにそうじゃないと思えるものが出来たときに、いかに保存するか、いかに熟成させるかっていうのを考えることもありますけどね。
でも「これは伝統になっていく」って思って作ってるものは、少なくともくるりではあんまりないですね。

──でもぼくは交響曲第一番初演を京都でやられた時にお伺いして、その時に気づいたのが「ひとりの作曲家の、最初の交響曲の、しかも初演を聴けるというのは、よく考えたらすごいことだな」ということでした。
もしかしたら、100年後にクラシックと呼ばれているものの初演に立ち会えているというのは、すごいことなのかもなってふと思ったんですね。

岸田繁
まあ、あれはそもそもジャンルが違ってて、いわゆる伝統音楽のところにぼくが乗っからせてもらった仕事なので、ふだんくるりなどで演っている音楽とは意味合いが違っています。
なので、京都市交響楽団とご一緒させていただいている交響曲のお仕事については、おっしゃるようなニュアンスっていうのはあるかもしれないですね。
またそれを残していくっていう意味では、やはり楽譜で残していくってことで楽譜も出版しましたし。
でもポップ・ミュージックのほうでいうと、系譜みたいなものはあったとしても、基本的にはそのときに食えるものを代々作るってことをずっとやってきたんだと思うんです。

野中智史
その時食えるものという意味では、伝統文化といわれているものも、おんなじなんとちゃうかなあって思いますけどね。

岸田繁
ああ、ほんまはそうかもですね。
今日、実際に工房に突然お邪魔してあれですけど、ふだんあんまり気にしない三味線のカーブだとか、漆の光ってる感じだとかをこうやって間近に拝見したり、さわらせてもらったりすると感じます。
音楽って演奏者や作曲家ばかりがクローズアップされるけど、こうやって楽器を作る人がいて成り立っているということをもっとみんなに知ってほしいって思いました。
ぼくらでも忘れがちなことなんで。

野中智史
作る人がいるから成り立っている。
そういうことが見えにくい時代ではあるかもしれないですね。

岸田繁
そうですね。
あとまあ基本的にものを作ってはる人を見るのが好きなんです、ぼく。
今日もたいへん興味深かったです。

──さっきもおっしゃってましたけど、同じように見えるけど、じつは一回一回、お客さんの要望などによって違いますもんね。

野中智史
そうですね。
お客さんの要望もそうですけど、同じ種類の木でも、硬い、軟い、粘りがある、パサパサしてるとか違いがあるので、この世の中に同じ仕事、同じ楽器はひとつとしてないと言っていいと思います。

岸田繁
やっぱり「中の人」じゃないですけど、作り手の顔や実際に作っている工房なんかが見えたほうが、
みなさん興味を持っていただいたりしやすいかもですね。
だから、そういう意味ではぼくにとっても今回の対談は、とてもいいきっかけになりました。ありがとうございました!


温新知故
#20
野中智史×岸田繁

文:
松島直哉

撮影:
平居 紗季

岸田繁オフィシャルサイト
https://shigerukishida.com

くるりオフィシャルサイト
http://www.quruli.net

温新知故
#20


音楽の作り手として。楽器の作り手として。

京都のアートやクリエイティブ活動の最新事情を訪ねてみると、その奥には必ず伝統という財産が豊かに広がっていたりする。
いわゆる「古きを訪ね新しきを知る」という視点からではなく、むしろその逆、新しいものの向こう側にこそ垣間見えてくる京都の先人たちの、技や知恵。

この対談シリーズでは、若い職人さんやアーティスト伝統文化の世界ではない人からの視点も交えた異色の対談集というかたちで京都の伝統文化に新しい光を当ててみたい。