一〇〇年生き抜く 京都の老舗
#11


金平糖|緑寿庵清水


コテ入れ10年、蜜掛け10年

京都の左京区、京都大学、知恩寺あたりを百万遍と言いますが、その小路を入ったところに日本唯一の金平糖の専門店、緑寿庵清水があります。

好奇心旺盛な初代が、ポルトガルからやってきた異国の菓子を作りはじめました。2代目は大きな釜で量産する現在の製造方法を考案しました。3代目の時代は戦争を挟んでおり、戦地にて配給された乾パンと金平糖を食べて、〝これは自分の家が作ったものだ〞と分かり、実家を想い涙しました。なんとか無事に帰国した後は一生を金平糖に捧げました。4代目は砂糖だけでなく、他の素材を用いた金平糖を試行錯誤。その様子を見て3代目は「金平糖は砂糖だけで作るもんや、そんなもんは邪道だ」とはねつけていました。でも、完成したものを食べて「これはお客さんに喜んでいただける」と認めるに至りました。

現在の緑寿庵清水本店には、当たり前のように多種の金平糖が揃っていますが、4代目の金平糖イノベーションがその始まりだったということですね。金平糖一筋の3代目と4代目のせめぎ合い、想像するだけでゾクゾクします。

金平糖はエアコンのない工房(夏は60度を超えるそう)で、人より大きな釜で、手仕事で作られます。朝から日暮れまで釜に付きっきりの過酷な仕事。そんな中での隣同士のやりとりを想像しましょう。もう、風神・雷神です。しかも1日でできるものではなく、約20日かけて出来上がるのが緑寿庵清水のそれ。すぐには結果が分からない点が、その他の菓子とは違います。

製法は一子相伝。金平糖の専門店は他にないし、レシピもありません。一人前になるまでには〝コテ入れ10年、蜜掛け10年〞と、20年かかるとされていますが、そもそも初代から、ああかなこうかなと手探りで作ってきたものです。当時の若お上が3代目に製法を聞いてみたところ「金平糖に聞け」と述べたことが今に伝わっています。現・お上の清水珠代さんによれば「職人は釜から流れ落ちる金平糖の音を聞いているんです」。その音を聞け、ということのようです。


この店を知らなかった頃の視点

老舗の一子相伝のプレッシャーは、もちろんあったそうで「男の子が生まれた時は、主人と共に声をあげて喜びました」。お腹にいる時点でも毎日朝昼夜、工房で金平糖作りの音を聞かせていました。大真面目に話されていたので多分本当です。生後も病院から家に帰るより先に、工房に寄って音を聞かせました。金平糖の英才教育。

そんなお上・珠代さんの前職はCA(ご本人はとび職と呼び、僕を混乱させた)です。

珠代さんは「恥ずかしながら京都出身にも関わらず当家のことを知らなかったのですが」、当時、奇遇なことに緑寿庵清水の金平糖が機内販売されたことがありました。これが大人気で離陸前に完売することが相次ぎ、「そんなことは他になかったので、一体この金平糖はなんなんだと思っていました」が、その家にお嫁に来ることになりました。おめでとうございます。

この、ここを知らなかった時の珠代さんの視点が、おそらくは宝物です。〝有名な老舗〞ではなく、生々しい自分の経験があるのとないのは全然違うはず。

 バトンは現在、5代目に引き継がれています。従来の糖分だけでなく、塩分や油分が含まれたものを結晶化させるなど、挑戦し続けておられます。創業170周年の折には東京・銀座にも緑寿庵清水を開店しました。ポルトガルからやってきた金平糖の、現在の発展をやがては欧州にも持っていきたいとの思いから、まずは日本の首都に出店。

まだまだやりたいことがたくさんあるようでした。「私どもは、リレーでバトンをパスする走者でしかありません。200年、300年つないでいくために、今すべきことと、したくても今すべきでないこと、次の走者がその時代と切磋琢磨できることも、あえて残しておくようにしながら営んでおります」。

金平糖の欧州への凱旋は、6代目の仕事になりそうです。


緑寿庵清水

弘化4年(1847年)創業

日本で唯一の金平糖専門店といわれる、「緑寿庵清水」。弘化4(1847)年京都の百万遍で初代・清水仙吉が暖簾をあげた。当時は無煙炭で火を起こし、一つの金平糖の種類を作るのに二ヶ月ほどかけて手作りしていた。現在は、5代目・清水秦博とともに約60種類ほどの金平糖を作っている。金平糖は天皇家の引出物に使用されたり、漫画「美味しんぼ」で登場したこともある。

住所:〒604-8301 京都市左京区吉田泉殿町38番地の2
営業時間:10時〜17時
電話番号:075-771-0775
アクセス:京阪電車・出町柳駅から徒歩10分
HP:http://www.konpeito.co.jp


淡交社 208ページ・1800円+税

「一〇〇年生き抜く 京都の老舗」

100年以上続く、京都の老舗35店を訪ね歩いた市内冒険的著書。
KYOTO T5センター長であり、デザイナーの酒井洋輔がインタビュー、文、写真、デザインと全て一人で行ったもの。
日本一の観光都市である京都は、観光スポットがありすぎて、それらを回るだけで数週間かかるほど。
しかし、京都の京都らしさを作っているのは本当にそのような観光スポットでしょうか。
100年以上続いているということは、住む人に愛されている証であり、確実に京都を形づくる要素と言えます。
「秘密の街・京都」の秘密、京都らしさのソースを知ることになる一冊。
新しいガイドブックの形です。


一〇〇年生き抜く 京都の老舗
#11
緑寿庵清水

文・写真:
酒井洋輔

一〇〇年生き抜く 京都の老舗
#11


金平糖|緑寿庵清水