温新知故
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野中智史×岸田繁

「三味線の違い。
三味線演奏の違い。」

ONSHINCHIKO
Satoshi Nonaka×Shigeru Kishida

Text by Naoya Matsushima from ENJOY KYOTO
Photo by Saki Hirai
文:松島直哉
写真:平居 紗季

温新知故
野中智史×岸田繁

京都のアートやクリエイティブ活動の
最新事情を訪ねてみると、
その奥には必ず伝統という財産が
豊かに広がっていたりする。
いわゆる「古きを訪ね新しきを知る」
という視点からではなく、むしろその逆、
新しいものの向こう側にこそ垣間見えてくる
京都の先人たちの、技や知恵。
この対談シリーズでは、
若い職人さんやアーティスト
伝統文化の世界ではない人からの視点も交えた
異色の対談集というかたちで
京都の伝統文化に新しい光を当ててみたい。

 

(1)_「三味線の違い。三味線演奏の違い。」

●くるりの岸田さんについてはみなさんよくご存知かと思いますので、
まずは自己紹介がてら野中さんのほうのお話をお伺いしたいと思います。
野中さんは三味線の制作をされている職人さんということでしたよね。

野中智史:ええ。高校卒業までは演奏のお稽古もして
三味線弾きとしてのお名前もいただいて
舞台にも立たせてもろてたんですけど、
制作のほうをやるとゆうので演奏の仕事は辞めたんです。
いまはまたちょいちょい演らせてもらうようになったんですけど、
いまはどっちかいうと以前演らせてもらってた王道のもんと比べると
マニアックな路線というか、
要するにお座敷で演奏するものばっかりなんですね。
お座敷でもどっちかっていうと
あんまり早い時間にはかけられないようなものばっかりなんです。

野中智史×岸田繁

●「舞台」というのがいわゆる歌舞伎などの舞台や演奏会などで演奏するもので、
「お座敷」というのがいわゆるお茶屋さんで芸妓さん舞妓さんのバックを演奏することなんですね。

野中智史:それはあくまで、ぼくなりの言いかたということですけどね。
あと、お座敷の中でもとりわけぼく自身が演ってるのんは、
だいたい皆さんがお稽古で習うようなきちんとした唄やのうて、
まあいうてみたら音曲漫才風のものやと思っていただけたら良いかと(笑)。

●若い人には「音曲漫才」がもうわからないかもですね(笑)まあググってもらいましょ。

岸田繁:そもそも三味線を使った音楽っていうのは、
弾きかたも含めていろんなジャンルがあると思うんですけど、
現存しているもので僕らみたいな一般の人からしたら
パッとイメージするのって、
やっぱりまず津軽三味線だったりするんですけど、
いちばん身近で聴いたりする機会がありそうなものってありますか?

野中智史×岸田繁

野中智史:まさにいま岸田さんが言うてくれはった津軽なんかは、
いまちょっと流行ってるぶん身近にはなってますよね。
ただ、演奏してはる人口が多いのは
じつは長唄三味線っていうジャンルなんです。
あれはやってはる人数も多いですし、
一般向けにお教室とかもちゃんとあるんで、
とっつきやすいんじゃないですかね。
マニアックなジャンルになると、マニアックすぎて先生も少ないですしね(笑)

岸田繁:そもそも楽器から違ってきますもんね。

野中智史:そうですね。やっぱりとっつきやすいのは長唄で、
馴染みがいいのは小唄とか、端唄とかになりますね。
とくに小唄は言葉が現代語に近いのと、
昭和に入ってからも新しいジャンルが作られているので、
演ってておもしろいのは小唄になるんとちゃうかな。
さっきも言ったようにやってはる人口が多いのは長唄。
あと津軽もとっつきやすいですね。

野中智史×岸田繁

岸田繁:なるほど。演奏でいうといまお座敷ではどんな曲をされることが多いんですか?

野中智史:お座敷でやるやつを全部ひっくるめて、
財を散らす節と書いて“散財節”っていうのがあるんですけど、
基本的には芸妓さん舞妓さんがいて、
有名な“金比羅船船”などのお遊びの歌やら、
お客さんが歌いそうな歌などが中心になります。
お客さんと芸妓さん舞妓さんらで一緒に賑やかに楽しく歌うんです。
「さのさ節」やとか「都々逸」なんかもやります。
お座敷で求められているのはそっちですね。

岸田繁:それは野中さんがそういうジャンルがもともとお好きやったんですか?

野中智史:とりわけ好きやったというわけではなく、
まあ花街の近くに住んでましたので、
もともとなんとなく知ってたのは知ってたんです。
せやけどさっきもお話したとおり三味線を一回本格的にやめて、
作るほうの職人になろうということで弟子入りして修行に入りました。
ところが24歳のときにぼくが小さい頃から知ってくれてる
お茶屋さんの女将さんに呼ばれて、
それでお座敷へ登場させてもろて、
なんやかんやで曲を知ってたので、
言われたとおりやってたら、
あっちゃ行きこっちゃ行きとなって、という感じですね。

岸田繁:お生まれもこの街なんですね?

野中智史:ええ、宮川町です。
長いこと親の転勤で九州とか3か所くらいコロコロしてて、
九州いるあいだもしょっちゅう京都には来てました。
それで高校卒業の時にまた京都に戻ってきて。

岸田繁:親の転勤ていうのは?

野中智史:うちの父親のほうはふつうの会社員だったので。

岸田繁:じゃあ、こういう三味線弾いたりっていう世界には…?

野中智史:うちの母親の家の生業がお茶屋さん商売してはったんです。
ぼくが生まれた時はもうやめてたんでふつうの家やったんですけど、
それでもやっぱり親戚筋が三味線弾いたりしはる人が多かったんで。

岸田繁:でもいまは作るほうが多いんですよね?

野中智史:そうですね。
いまでもちょいちょいは弾きには行かしてもらうんですけど。

野中智史×岸田繁

●三味線づくりの工程を
簡単にご紹介していただいても良いですか?

野中智史×岸田繁

野中智史×岸田繁

野中智史:わかりました。
まずひとつの原木を「棹」「胴」「天神」の3つに分割します。
そのうちぼくが作るのは天神を含めた棹(さお)の部分だけです。
胴と糸巻の部分はまた別の職人さんが作ってはるんですね。

棹は基本的に「上棹」「中棹」「下棹」の
3つのパーツを繋いで一本になっています。
その継ぎ目を「継手」と言います。
で、木が四角い状態のままで継手(つぎて)を先に作っていって
1本にして、そこから「つら」と呼ばれるいわゆる糸(ギターでいう弦)が乗るほうですね、
そっちは平たく平たくなるように削ります。
逆に背のほうは丸めて丸めていく感じで削っていきます。
あとは天神とつないで終わりです。
ここまでが棹の職人が作らせてもらうパートになります。

野中智史×岸田繁

岸田繁:棹と胴は同じ木なんですか?

野中智史:それがそうでもないんです。
棹が紫檀(したん)であろうが、紅木(こうき)であろうが、
花梨(かりん)であろうが、胴だけは花梨と決まってます。

岸田繁:それはむかしからですか?

野中智史:むかしっからですね。
むかしいうても確立されてきたのは
明治に入ってからやと思うんですけど。
それまでは桑の胴とか、樫の胴とかのものもあるにはあるんで。

岸田繁:へえ!

野中智史×岸田繁

野中智史:たぶん明治以前は
花梨の木がそれほど流通してなかったんやと思います。

岸田繁:花梨っていうのは硬い木ですか?

野中智史:紫檀とかに比べたらやわいですけど、
でもまだ硬いほうですね。
モノにもよりますけど、紅木が一番硬いです。
花梨が一番やわいのはお稽古用やからですね。

岸田繁:硬さによって音ってやっぱり変わってきますか?

野中智史:変わりますね。木が硬いと音も締まってきます。

岸田繁:硬質な音。

野中智史:そうですね。はい。

 

●岸田さんに伺いたいんですけど、
ギターもやっぱり木によって音は違うものですか?

岸田繁:まあやっぱり違いますよね。
ギターでいうと「ブラジリアンローズウッド」っていう木がありましたけど、
いま少ないですね。
あとは「マホガニー」とかかな。
ギターでよく言われるのは、
輸入ギターとかだと日本に持ってくると
湿気で音が変わってしまうんですね。
しかも個体差もけっこうあるので、扱いは難しいです。
やっぱり木って生き物だから呼吸してるし、
経年変化とか保管状態によっても変わりますよね。

ミュージシャンあるあるで言うと、
たとえば全国ツアーとかやると
温度差なんかもあるんで影響はありますけど、
そんなに丁寧には扱えないので
あんまりいい楽器はツアーには持っていかないとかあるみたいです。
ぼく自身はあんまり気にしないんですけどね。

野中智史×岸田繁

野中智史:そう言うたらたまに海外公演でお師匠さんが、
日本では目立たなかった小さい傷が
アメリカとか持っていったら広がってきた、とかって言いますね。
日本に帰ってきたら直ってるんですけど、
やっぱりいったん開いたところが気になるとので直すらしいんですけど、
そういうのってやっぱりあるみたいですね。

岸田繁:現代音楽家の武満徹さんのエピソードで聞いたのは、
笙や鼓なんかを海外公演に持って行ったら
演奏できへんかったとかあったみたいですね。

野中智史:海外って怖いですね(笑)。

 

●そういう面では、木を使っている生の楽器っていうのは、
気象とかの影響を強く受けるんですね。

野中智史:ましてぼくはまだ棹だけしか作ってないですけど、
とりわけ共鳴版なんかは皮なのですごく影響受けるでしょうね。

つづく

2019.05.01更新